文部科学省の問題行動・不登校調査で2023年度は、不登校の小中学生が34万6482人に上り、過去最多となりました。前年度比47434人(15.9%)増です。小中高校などがいじめと認知した件数は73万2568件、生命や心身への被害、また長期欠席などを含む「重大事態」は1306件といずれも過去最多でした。
児童精神科医として子どもの心診療をしている身としては、憂慮すべき事態です。
いじめの問題において、いじめをした方は忘れたとしても、いじめを受けた側は過去の問題ではなく、今も続いているということが最も大事なことです。
実は私自身も大学医学部在籍の医学生のときに、いじめにあったことがあります。だからいじめられた人の気持ちは、誰よりも理解している方だと思います。
私が大学に合格して石川県で1人暮らしを始めたとき、すでに両親は高齢でした。さらに実家には妹が2人残っていましたので、妹たちの学費も両親は払わなければなりません。そんな中で私が通う大学の高い学費と1人暮らしの生活費用を出してもらうのはとても心苦しくありました。だから、両親からの仕送りに対して、これは大事に使わなければいけないお金だという気持ちが、人一倍強かったように思います。
しかし、大学医学部に通う学生というのは、家がお金持ちの人が多いのも事実です。そのため、こういった話はよく聞きました。
「ヨット部は部費が年間200万円、ゴルフ部は年間100万円かかるんだってさ。すごい金額だよな」
「でもさ俺ら、医学部受かるまで散々勉強ばっかりやってきたわけじゃんか。医者になったら忙しい毎日ってのは目に見えてるし、大学生のうちに遊んどかなきゃ」
「確かにそりゃそうだ」
裕福な家庭の大学生たちは、金沢市内の一等地から車で大学まで通学している人もいました。ところが私は、大学近くの家賃が安い手狭な6畳一間のアパートで1人暮らしをしていました。この部屋で、大学時代は勉強に励もうと決意したのを覚えています。
自転車で大学とアパートの行き来をし、週末は金沢駅まで自転車で出かける。大好きな書店めぐりをして、買ってきた本を読むのも楽しかったですし、市場で食材を買い、自宅で1週間分の調理をするのも楽しかった思い出です。10分ほどで日本海の砂浜に行ける場所に住んでいたのもあり、たまに自転車で砂浜まで行って、本を読んでいたこともありました。
そういった日常を私は送っていたので、大学で親のお金を遣って贅沢をしている友人たちとの繋がりは薄かったといえます。
さて、大学における基礎医学の勉強は、過去問さえやっていれば落第することなどまずありえないといわれています。
だから喉から手が出るほど、私は過去問が欲しいと思っていました。ですが、各部活やサークル伝統の過去問は、代々先輩から後輩への手渡しというところがほとんどです。問題文が回収される学科もあるので、記憶力を頼りに先輩たちが作成した過去問でもあります。
だから絶対に他の部活やサークルの奴に渡すなよと言われているため、普段から特に仲良くもしていない私が欲しいといっても、渡してもらえるはずがありません。だから毎回試験のたびに、友人に「過去問、見せてくれないか」と言っても「ダメ」「部活もしないで過去問だけを欲しがるな」と言われるのが常でした。
そのため私も行動を少しは変えなければいけないと思い、試験の情報を得るために、これまで避けてきた派手な友人たちの誘いに少しは乗るようになりました。
夕食でお酒を飲めば、割り勘で3000円近く払う。親から貰った大切なお金なのにと、後悔の気持ちが残り、いつも後味の悪い思いをしていました。
サークル活動をしない私も悪いのですが、過去問すら手に入れられない自分を、なんてダメな人間なのだと、テスト前になると自分を責めてばかり。その気持ちを少しでも和らげるために、学科の先生に頼み込んで、試験範囲の重点項目を聞き、ヤマを張ってがむしゃらに勉強しました。そうやって少しでもいい点を取ろうと頑張っていました。
そんな私は、大学2年生のときに1型糖尿病になります。食事制限とインスリン自己注射を1日に5、6回もしなければならない毎日です。血糖値は1000を超え、一か月も入院していました。主治医からは、「臨床医は無理だろう。医学部も辞めた方がいいかもしれない」と言われ、どれほどショックだったことか。今でもその時の言葉は夢に見るほどです。
そんな中で、周りの同級生たちはと言うと、
「無理ー。1型糖尿病なんて。悲惨」
「だって好きなものも食べられないし。1日に何回も注射しなきゃいけないんだろ。かわいそう」
などと陰口を叩かれる始末。しかし、そんな悪口を言われるのにも理由があります。私は大学2年生を1か月も休んだにも関わらず、成績優秀者として3年生に進学したからです。つまりやっかみでした。
「あいつ勉強ばっかりしていやがる」
「先生から試験問題聞いているんじゃないか」
「病気持ちのくせに鼻持ちならないな」
「友達もいないくせに」
陰口は1型糖尿病になってから、一層ひどくなりました。陰口をたたかれるたびに、自分を奮い立たせようとするのですが、心が折れて泣いてしまう日々。周りの言葉や環境、自分の身体のことを考えて、この道は断念した方がいい、と思うものの諦めきれない自分がいるから、再び立ち上がる。そんなことを繰り返していたように思います。
そして、陰口を言うのは、大抵派手な友人たちでもあったので、病気を理由に誘いを断わるようにもなりました。
ただ、陰口を言う人たちを見て、なぜ彼らは簡単に人を傷つける言葉を言うのだろうか?
人を傷つけることが楽しいのか? と考えましたが、答えは出ません。そして、本当にこういう人たちが医師になるべき人なのだろうか。と考えては、いや違う絶対に違うはずだという強い気持ちが芽生えました。
ただ、大学には派手な人しかいないわけではありません。私のようにつつましい生活や勉強に励む同級生もいます。初めは自分しか、そういう人はいないのではないかと思い込んでいたのですが、落ち着いて周りを見てみれば、自分の視野が狭かっただけだという事に気付きました。
やがて周りには、同志のような人たちが集まり、友だちになり、大学生活を私も楽しめるようになったのです。
とはいったものの、私や友人を聞こえよがしに悪口を言う同級生は相変わらずいて、環境はそれほど変わったとは言えなかったのですが……。
大学6年生のとき、私は医学部とは全く関わりのない短大生の女性と、おつきあいすることになりました。私に病気があることを知っても、変な目で見ることはなかったですし、ちょうどいいぐらいの感じで気にかけてくれる人。そして金銭感覚も同じような女性です。
有名な中華料理店でランチをした時も、「ラーメン1杯1000円は高いよね」と言ってくるような女性でした。同じ気持ちの人といるのはなんて心が落ち着くのだろうと、彼女と出会って改めて思ったものです。彼女は私の心を強くしてくる存在でもありました。
医学部を卒業し、医師国家試験に合格しました。私の大学では30%の人が医学部6年間を6年で卒業できません。また6年間で卒業できたとしても、ストレートで医師国家試験に受かるのは60%に過ぎませんでした。
私が留年や落第することなく全てをストレートで通過できた一番の理由は試験の過去問などに頼らず、がむしゃらに大学6年間の時間全てを勉強につぎ込んでいたからだと自負しています。
振り返れば、悔しさをバネに頑張った昨日までの自分と、一緒に勉強に励んだ友達がいます。その友達は今では一緒に医師として働く仲間です。そして、当時付き合っていた彼女は、今は妻となって現在も私の心と体を支えてくれています。
今でもいじめのことを思い出すと、この道で良かったのか、いやそうではないかもしれないと自問自答してしまいます。こんな世界なら私の居場所はないという思いと、私だからこそできることがあるという思いがまじりあっているからです。それに私は病気を患っているので、医師として成り立つのかというのは、この歳になってもまだ感じることではあります。
それでも私は自分で選んだ道を進んでここまできました。それが正しかったと今は自信を持って思えるから、きっと私はいじめを克服したのだと思うのです。
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